広島広陵高校の中村奨成くんですが、2017年度夏の甲子園において一世を風靡する活躍をしたことで彼に対する世間的な注目度が急上昇しました。
インタビューでの、歴史的偉業を成し遂げた高校生と思えないほど異様に落ち着いた受け答えにも非常に強い衝撃を受けている人も多いようなので、ここでは彼が一体どのような環境で育ったのか、その経歴と生い立ち、母親との関係について取り上げてみたいと思います。
概要
中村くんのプロフィール
名前:中村奨成(なかむらしょうせい)
出身:広島県廿日市(はつかいち)市
生年月日:1999年6月6日
身長:181㎝
体重;76㎏
50m:6秒前後
遠投:120m
二塁への送球:1.8秒
右投げ右打ち
身長・体重はwikipediaにはこのように掲載されていますが、もう少し軽く見えますね。
実際高校生と考えてもかなり細いのですが、そのボールを遠くに飛ばす力は本当にびっくりで、ヤクルトの山田哲人選手を彷彿とさせます。
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経歴
小学校時代
中村奨成くんが野球を始めたのは、小学校1年(2006年)のとき。
広島県廿日市立大野東小学校の少年野球チーム「大野友星」に入団しました。
当時からポジションはキャッチャーを希望したそうですが、その理由は
「一人だけ反対方向を向いていて面白そうだったから」
とのこと。
普通はピッチャーやショート等の華型ポジションをやりたがるのに、この辺りからも変わっているというか、大物の予感を感じさせられますね(笑)
そんなあっさりした理由であったのにも関わらず野球に対しては真剣で、小学校時代から毎週末は野球漬けの日々であったようです。
そして当時から、足・肩・長打力・打撃技術と三拍子も四拍子も揃っていたそうで、もともと地元一の強豪と名高い「大野友星」において歴代ナンバーワンの実力者であったとされています。
中学時代
2012年に広島県廿日市立大野東中学校に進学し、野球チーム「大野シニア」に入団します。
こちらも強豪チームであるにも関わらず、早くから4番捕手というポジションを勝ち取り、主力として活躍するようになったそうです。
瀬戸内中学生野球大会では優勝も経験しています。
ちなみに、中学のときはその肩力を最大限生かせる場である投手をやった経験もあるそうですが、残念ながらノーコンかつ棒球過ぎたためにものにならなかったようです(笑)ピッチャーとキャッチャーでは求められる資質が違うんでしょうね。
高校時代
そして2015年、広島県広島市にある広島広陵高校に入学します。
部員が150人以上もいる地元の強豪で、過去にプロ野球選手を何人も排出しています。有名どころでは、読売巨人に在籍する小林誠司選手や、阪神タイガースの金本知憲監督等。
にもかかわらず、中村くんは一年の夏からキャッチャーとしてレギュラーを勝ち取りました。まあ今の活躍を見てればそれも全然不思議ではないと思いますけどね。
また、監督である中井哲之氏は中村くんの打撃について
「高校生であれだけバットをしならせて打てる打者は、そうはいません。打つだけじゃなく、微妙なコースに変化球がきても、バットがぴたっと止まる」
と語っていて、当時の小林選手とは比べ物にならないとも発言しています(笑)
まあ小林選手は9番を打っていたので当然ですがw
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母子家庭で母親がカープファン?
しかし中村奨成くんが過去にこれだけ野球で大活躍してこれた背景には、彼の母親の存在があるのではないかと私は考えています。
実は中村くんは母子家庭で、母親の啓子さんは中村君と彼の妹の二人を育ててきました。
これはドキュメンタリー番組の中で語られた内容ですが、なぜ父親がいないのかについては、その番組内では全く触れられていません。
母子家庭で育ててくれたお母さんに甲子園でホームラン打って恩返しするって約束して既に3HR。
カッコ良すぎる#広陵 #中村奨成 pic.twitter.com/ke5yaFmGqy— W.Ryoya (@wackydayo) 2017年8月17日
とても美人なお母さんですね。
実は啓子さんは大の野球好きで、そして地元広島カープの大ファン。
そのため、息子の中村くんに対して
「絶対に野球をやらせる」
と端から決意を固めていて、中村くんが小学校入学と同時に野球を始めたのも母親の啓子さんが大きなきっかけになったようです。
母親との深い愛情と強い絆を感じさせるエピソードとは
しかしながら、啓子さんはただ息子に自分のやらせたいことを無理やり(この場合は無理やりではないと思いますが)やらせて自分は何も努力しない、というタイプの親ではありません。
啓子さん自身も、少しでも息子の力になろうと大変な努力をしていたのです。
啓子さんは平日は正社員として家族のために一生懸命働き、夜は家事をして、土日は息子である中村くんの所属する野球チームでお手伝いをしていたとのこと。
さらに一緒にキャッチボールをしたり、バトミントンの羽根を使ったトレーニングをしたりと、時間があれば練習の付き合いをしてあげていたそうです。
もともと母子家庭の母親の苦労というのは間違いなく夫なり嫁なりいる場合よりも大きいと思いますが、さらに息子の練習の手伝いまでしていたなんて、すごく愛の深さが感じられるエピソードだと思います。
さらに、中村くん自身も母親がこれまでやってくれたことに対して深い感謝の気持ちを抱いていることが伺えます。
彼の実家には、中村くん自身によって
「母さんへ
いつも応援してくれてありがとう
甲子園絶対行く」
と書かれた
ホームランボールが飾られているのです。
また、1年夏に捕手のレギュラーを獲得した際、ストレスやプレッシャーから一時的に拒食症に陥ってしまったこともあったそうです。
これは想像してみれば当たり前なことで、これまで本気で野球をやってきて、辛い練習に耐えてきて強豪校に入っても必死で努力してきた先輩たちからしてみたら本当に辛く、複雑な気持ちになるでしょう。それを考えると、なかなか平常心ではいられないと思います。
しかも捕手というのは野球において第二の監督と言われるポジションであり、そのような大役をつい先日入部したばかりの後輩が担うわけです。
ですからその受ける気持ち的な圧力たるや、想像を絶するのではないかと思いますね。もちろん、そういった圧にも屈しないからこそ、スターとしての器があるとも言えるのですが。
しかしながら、そのときも母親の啓子さんは
「悲しんだら息子も辛い気持ちになる」
と考え、
「みんなが認めてくれたんだから、自信を持って」
と明るく励ましたそうです。
本当に子供想いの素晴らしい母親だと思いますね。
最後に
やはり中村奨成くんの今があるのは、まさに母親である啓子さんによるところが大きいのではないかと私は思います。
自分の実力以上のものが大舞台で出せるのは、スターの証です。
スターになるには、実力だけではなくその尋常ではない注目や期待に応えたりするだけの精神的な強さが必要です。それを実際にやって退けてしまったわけですから、スターの資質十分とみて良いでしょう。
その精神的な強さを下支えしている力こそが、まさに母・啓子さんから受けた愛と深い感謝の気持ちなのではないか、と私は思うのです。