先日、月例経済報告の公表に際して、政府は

「景気拡大の期間が、いざなぎ景気を超えた」

との認識を示しました。一般の国民にとっては実感しづらいところですが、経済統計から読み取ると、緩やかな回復基調が続いているようです。

この緩やかな景気拡大について、マスコミでは「今後の日本では、戦後の右肩上がりのような高度経済成長はあり得ない」といったようなことを言っています。

なぜ、今後は高度経済成長が見込めないのでしょうか。

ここでは、戦後の大きな経済成長期の背景である神武景気・岩戸景気・いざなぎ景気の由来や原因、特徴を取り上げ、その理由を探っていきたいと思います。

 

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神武景気の原因、特徴

「神武景気(ジンムケイキ)」は、戦後最初の大きな経済拡大期で、昭和29年12月(1954年)から昭和32年6月(1957年)までの31か月間に亘って続きました。

由来として、この頃は日本国始まって以来の現象が起こると、他に例えようのない凄いことという意味で、初代天皇である神武天皇に例えて「神武以来(ジンムコノカタ)の~」と表現することが流行っていたため、有史以来の好景気という意味を込めて神武景気と名付けられたようです。(昨年引退した将棋の棋士加藤一二三さんも、神武以来の天才と呼ばれていました)

神武景気の前には、朝鮮戦争の恩恵による好景気である「朝鮮特需」がありました。この時は、米軍が使う軍服・テント・寝袋・土のうなどの、繊維産業の製品供給を日本企業担ったこと、また、軍事車両や航空機の修理なども任されました。このことによって、国連や米軍から、直接売上を得ることができたのです。

その上、当時はまだ品質管理という概念の無かった繊維製品の工場で、米国の技師が品質管理を直接指導したため、技術力の底上げが計られました。もちろん、軍事車両・航空機についても同様に、米軍水準の技術を獲得することができたのです。このように、日本の軽工業、重工業共に朝鮮特需の際に高度な技術を獲得したため、国際市場での競争力を上げることができました。

また、終戦直後から続いた物価上昇がひと段落したこと、米の豊作が続き、国民の暮らしが落ち着いたこと等が複合的に影響して神武景気が始まったと考えられています。

この期間には、「三種の神器」と言われた白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫の家庭電化製品のブームが始まって国民の生活水準は向上し、日本は消費社会へと突入していったのです。

 

岩戸景気の原因、特徴

神武景気によって、製造業の過剰な設備投資はやがて不良在庫を抱えるようになり、日本経済は「なべ底不況」に陥ります。ところが、日本銀行の度重なる金利引き下げと国内消費の回復を受けて、昭和33年7月(1958年)から景気拡大局面に移行します。

この好景気は、神武景気よりも長く昭和36年12月(1961年)までの42か月間も続いたため、神武天皇よりも前の時代のできごとである「天の岩戸」の神話以来のできごととして「岩戸景気」と呼ばれるようになったのが名の由来です。

この景気拡大期には、工場が設備投資するための「機械」を製造するための「機械」が必要になるなど、「投資が投資を呼ぶ」といった好循環の経済活動が顕著となり、労働者の給与水準も向上。いわゆる「中流・中産層」が拡大して、消費者にとっても、「スーパーマーケット」のように効率よく大量消費できるような社会構造の変化が見られました。

このように、日本経済は、生産・分配・消費の三方面で好景気を享受し、好景気を支えたのです。

 

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いざなぎ景気の原因、特徴

昭和40年11月(1965年)から昭和45年7月(1970年)までの57ヶ月の間続いた景気拡大期間は、戦後最長・最大の好景気として知られています。(なお、平成14年からの景気拡大と、今回の景気拡大が「期間」については上回ったと考えられています)

この景気拡大期は「いざなぎ景気」と言われています。岩戸景気を上回る長期間であったことから、天の岩戸を開いた天照大神の父である「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」にあやかって、そう呼ばれるようになりました。

岩戸景気の後、一次的に景気後退期を迎えるものの、昭和39年の東京オリンピックに向けた大規模なインフラ整備等による「オリンピック景気」を享受して、日本経済は更なる成長を遂げました。ところが、オリンピック後には需要が一巡したこと等を原因とした不況に陥り、大型倒産の連鎖による山一証券の取り付け騒ぎや、それに伴い日銀特融が実行されるなど、危機的な状況に陥ります。

政府はこの景気後退期間に、戦後初の赤字国債の発行に踏み切り、政策金利の引き下げも実施しますが、なかなか回復基調を取り戻せず、ついには「建設国債」の発行にまで手を出します。

この建設国債の発行が、日本全体の更なるインフラ投資への起爆剤となり、いざなぎ景気が始まったと考えられています。また、いざなぎ景気は、日本国民の所得水準の一層の向上をもたらし、車 (Car)・クーラー (Cooler)・カラーテレビ (Color TV)の「新・三種の神器」と呼ばれる耐久消費財の普及を促すこととなりました。

 

今後の見通し

このように、戦争で完膚なきまでに叩きのめされた日本でしたが、世界中の国々が目を見張るほどの高度成長を遂げ、経済規模ではアメリカに次ぐ第二位にまで上り詰め、先進国と呼ばれるまでに成長しました。

この期間の成長は、世界から「Japanese miracle」と呼ばれるほどの奇跡的な発展だったと言えるでしょう。

その原因については様々な分析が試みられていますが、一つだけ確実なのは、「人口増という人口ボーナス」の影響も大きかったということです。また、三種の神器、新・三種の神器等の耐久消費財が各家庭に普及する等、そもそもの生活水準が低かったために伸びしろがあったという点も、今の日本には残されていません。

これらのことを考慮すると、今後の日本では戦後のような経済成長は見込めないというのが大方の予想となっています。