憲法についての議論があいまいなままで深まらない背景と解決策

憲法の各条文には、様々な解釈が成り立ち、特に憲法9条については百家争鳴という状態になっていることを紹介しました。そして、政府の公式な見解では「自衛隊は憲法9条2項で言うところの戦力ではなく、自衛のために必要な実力だ」ということになっています。ところが、多くの憲法学者が、自衛隊は違憲の存在だと指摘しているのです。

ところが、小学校で教わったことを思い出してみると、ちょっと不思議な気持ちになりませんか。

憲法のことを勉強したとき、日本は「三権分立」という仕組みで統制されていると教わりました。教科書には、国会が法律を作って、その法律が憲法に違反しているなら最高裁判所で審査される、ということが書いてありました。

つまり、自衛隊が憲法に違反しているかどうか、最高裁判所が審査すれば、違憲・合憲がはっきりするはずです。

では、現実がどうなっているのか、確認してみましょう。

 

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違憲立法審査権とは

小学校では「国会が唯一の立法機関である」ことと「裁判所は自分の良心に従って裁判を行う独立した機関である」ことを教わりました。

そして、裁判所は「国会が制定した法律が憲法に違反していないかを審査する」ことができて、国会は「裁判官を弾劾(クビに)する」ことができ、お互いに権力をけん制し合う関係ということも教わりました。

この、裁判所の持つ法律をチェックする権限が「違憲立法審査権」です。つまり、自衛隊は「自衛隊法」という法律に基づく組織ですから、自衛隊が憲法に違反するかどうかは、自衛隊法が憲法に違反するかどうかを最高裁判所で審査してもらえばいいはずです。

ところが、現状の裁判制度では「この法律が憲法に違反しているかどうか審査してください」という手続きが定められていません。ある法律が違憲か合憲かという審査は、何らかの裁判の中で付随的に審査されることになるのです。

 

あいまいな裁判の実例

実際に自衛隊の存在が問題となったものとして、「長沼ナイキ訴訟」と呼ばれる裁判がありました。

昭和44年、北海道の長沼町に地対空ミサイル基地を設置(ミサイルがナイキ・ハーキュリーズ対空ミサイルという名前なので、長沼ナイキ訴訟と呼ばれます)するため、町内の国有林を切り拓く必要があり、国有保安林の指定を解除したことがきっかけになっています。この保安林の周辺に住む住民が「保安林の指定解除によって、洪水の危険性が高まる」「自衛隊は違憲の存在だ」という2点で国に対して訴訟を起こしました。

 

長沼ナイキ訴訟一審判決

札幌地裁は、

「自衛隊は憲法9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」

と判断しました。

その理由は

「どの国でも、自衛のためという理由で軍隊を保有しているのだから、自衛隊だから軍隊ではない、という理屈は成り立たない」

というものでした。同時に、保安林解除の目的が憲法に違反しているため、保安林解除を無効としました。

この判決が、これまでに下された唯一の自衛隊の存在に係る違憲判決です。

 

長沼ナイキ訴訟の結末

一審判決を不服として、国は札幌高等裁判所に控訴しました。

控訴審では、そもそも保安林は治水のためのもので、基地の設置に際してダムを整備するのだから、保安林が無くなっても洪水の危険性は高まらないと結論付けました。

このため、訴訟自体に意味が無いとして、周辺住民の訴えは棄却されたのです。つまり、一審の結果を正反対にひっくり返す逆転判決です。

さらに、自衛隊と憲法9条の関係については

「本来は裁判の対象となり得るが、高度に政治性のある国家行為は、極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある」

と示したのです。この、高度に政治性のある国家行為を司法審査の対象外と考える理屈のことを「統治行為論」といいます。

 

そして、原告側はこの判決を不服として最高裁判所に上告しましたが、二審判決の通り原告には訴える理由が無いとして、あっけなく棄却されてしまい、自衛隊の違憲審査についても回避してしまいました。

憲法81条には

「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」

と規定されていますから、最高裁判所は自衛隊が違憲か合憲かの判断をできるはずなのですが、何故か回避してしまったのです。

 

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統治行為論のロジック

それでは、統治行為論というロジックは、憲法81条に反するものなのでしょうか。

国会と裁判所の成り立ちを考えてみましょう。

国会議員は、国民によって選挙で選ばれた人たちです。つまり、主権者である国民の代表なのです。

一方で、裁判官は司法試験に合格して、裁判所に任官した人であって、国民に選ばれたわけではありません。つまりものすごく頭の良い人ではありますが、国民の意見を代表している訳ではないのです。

このように、民主的な基盤の強い存在である国会に対するとき、何ら民主的な基盤を持たない裁判所には関与できない事柄がある、という考え方が成立します。(これを内在的制約説といいます)

また、大きな問題を取り扱う場合で、それを否定すれば社会的な影響が大きく、政治的にも混乱が生じる可能性が高いとき、裁判所が自らそれを回避することがあるのです。(これを自制説といいます)

自衛隊は、朝鮮戦争を契機として、アメリカからの要請もあって創設されたもので、国民の安全な生活にとって必要な存在です。この自衛隊を「違憲だ」としてしまえば、アメリカとの安全保障条約を履行することはできなくなりますし、東アジアのパワーバランスも不安定になってしまうでしょう。

これほどに大きな影響を与えることになる問題なので、裁判所は判断を避けたのです。

統治行為論のロジックは明快ですが、このような仕組み自体が日本の統治機構が抱える根本的な問題ということです。なぜなら、問題が大きければ大きいほど、裁判では解決できないということになってしまうからです。

その上、最高裁判所長官は内閣が指名することになっています。そのため、裁判官はトップまで出世したいがために、内閣のご機嫌を損ねるような判決を書かない傾向があると言われているのです。このために、政治的な案件には及び腰になりがちな傾向が見られます。

 

はっきりさせるための解決策

では、どうすればこれらのジレンマを解消できるのでしょうか。考えられる解決策は「憲法裁判所を設置する」ということです。

ドイツでは、通常の裁判所とは別に、憲法秩序を保障するための「憲法裁判制」を布いています。そして憲法裁判所の裁判官は、議会の党派比例的に選任されるため、政治的な偏りもありません。高度に政治的な案件であっても、専門的に審査することができて、現政権の方針に反するような判決を書くこともできるのです。

憲法裁判所の設置こそが、決定的な解決策と言えるでしょう。

ただし、憲法76条2項には

「特別裁判所は、これを設置することができない。」

と規定されていますので、現在の日本で憲法裁判所を設置することはできません。

衆議院議員選挙を終えて、憲法改正の議論が高まることが予想されます。憲法9条に自衛隊を規定するかどうかの議論よりも、そもそも憲法を機能させるための統治機構についても、検討する必要があるのではないでしょうか。