「学歴社会はもう終わった」

世間ではこのように言われることもあります。

しかしながら、同時にその意見に反論する声もあります。

というわけで、今回は学歴社会を
テーマに取り上げていきたいと思います。

 

学歴が高いのは得

まず学歴社会云々は置いておいて、
普通に考えたら少なくともこれは事実でしょう。

学歴が高いのは得

です。

単純な話になりますが、
相手のことを全く知らない場合
一般的に学歴の低い人と高い人でどちらが

一般教養があると思われるか

根性があると思われるか

しっかりしていると思われるか

思考能力があると思われるか

について、後者であることは疑いようのない事実です。

何故なら、高学歴であるということは
厳しい競争を勝ち抜いてきたからこそ
高学歴だからです。

厳しい競争を勝ち抜くためには、
生まれ持っての才能、
もしくは大変な努力に耐え抜く根性
がなければなりません。

高学歴の人に対しては、
そのどちらかがあるという捉え方をする。

ということは、逆に言えば相手としてみたら
その人を判断する際にこの時点で
少し偏見が入ることになります。

つまり、第一印象ですでに学歴が高い方に
アドバンテージがあるのです。

事実であるかそうでないかは
さておき、世間の一般的な印象として
そうなっているのです。

 

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実際に能力が高い人が多い

では、次に

高学歴の人は実際に能力が高い人が多い

ことが事実なのかどうか
について考えてみたいと思います。

まず、

厳しい競争に勝ち抜いたことによって上げた成果

これが非常に大きな意味を持ちます。

これは何も学業に限らず
何かにつけて言えることなのですが、
何かで著しい成果を上げた場合、
その成果を上げた対象のレベルが高い
という捉え方ができます。

それが野球であれば野球が上手いとなりますし、
ピアノであればピアノが上手いとなります。

理系大学に進めば分析能力が高い
文系大学に進めば言語能力が高い

等になります。

しかしながら、この成果というのは
もっと拡大して解釈されるものなのです。

というのは、たとえば野球であれば
野球が上手いだけではなく
そもそも運動神経が良い

理系大学に進めば
分析能力が高いだけではなく
そもそも思考能力が高い

特にその成果が突出していれば
いるほど拡大解釈される傾向にあります。

たとえば、早稲田や慶應、明治くらいの
レベルの大学に行ってる人は

その時点で

一般教養がある

根性がある

しっかりしている

思考能力がある

という印象を与える可能性が高いです。

また、スポーツや音楽で
全国大会に出たレベルであったとしても
それに近い印象を与える可能性があります。

スポーツや音楽と一般教養
なんて全く関係がないのですが、

スポーツができる

→根性がある・思考能力がある・しっかりしている

→一般教養がある

という連想をされる傾向にあるということです。

 

ただし、プロであったり
京大生・東大生であったりすると
逆に他のことは何もできないのではないかと
疑われる傾向もあります。

極端なレベルに達していると、
他の能力を犠牲にしてるのではないか
どこかに欠陥があるのではないか
と思われるのです。

まあもちろん何もないよりはマシですが(笑)

ですから、一番万能エリートだと思われ易いのは
早稲田や慶應等のレベルなのではないかと思います。

 

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学歴社会は日本だけでなくアメリカや韓国でも

ここまで、一般社会がなぜ高学歴に
好印象を持つかについてを語ってきました。

では実際はどうなのかと言えば、
全員に当て嵌まることはないですし、
拡大解釈され過ぎるところもあるかも知れませんが
傾向としては間違いなくあるでしょう。

学歴が高い人は根性もあるのですが
プライドも高い傾向にあります。

結局のところ、

過去の成果から来る自信×学生時代に培った知識・思考力×根性×プライド

が高学歴な人の原動力となるのです。

さて、低学歴な人に勝ち目はあるでしょうか。

この時点でかなり形勢が不利なことは
疑いようのない事実だと思います。

もちろん勝ち目がないとは言いませんが。

そうなってくると、就職する際に
採用する側としてはどうでしょうか。

たとえ面接時の印象が良かったとしても、
わざわざ低学歴の人を選ぶでしょうか。

これが学歴社会が決して終わらない理由です。

高学歴応募者が人気なのは必然なのです。

世間で言われる

「学歴社会が終わった」

というのは、過去のように

学歴だけで判断される

学歴だけで出世できる

学歴さえあれば何となく安泰・高収入でやっていける

時代が終わったという意味であって、
高学歴が勝ち上がる社会は全然終わっていないのです。

現にアメリカや中国、韓国等の先進国では
日本以上に学歴社会となっていますが、
今後この流れが終わることはないと私は思います。

たとえ実力至上主義社会になったとしても、
決して学歴社会は終わらないのです。

まあ完全社会主義社会になれば別ですが、
それは非現実的ですからね。

ですから、高学歴な人が
高収入で勝ち組に回る傾向があるのは
学歴のために就職口が良いこともありますが、
そもそも実力があるからという理由が一番なのです。

実力があるからこそ、
社会で活躍してどんどん出世していくのです。

 

ただし幸せとは直結しない

しかし、だからといって
学歴が高い人の方が幸せになれるかと言えば
全くそうとは言い切れません。

意地でも結果にこだわる、
妥協を許さないということは、
頑張り過ぎてしまうということです。

その結果、無理が祟って
病気になってしまう人もたくさんいます。

極端な話

「別に俺は馬鹿だから」

と思ってる人の方が、
失うものがない分
気楽に生きられるところはあるのです。

もちろん、それはそれで
いじけてコンプレックスを
感じていたらストレスになりますが、
完全に開き直れていたらもはや幸せでしょう。

ですから、学歴と幸せは
無関係とまでは言いませんが、
直結することは全くないのです。

参考関連:高学歴でも負け組やニートになる高学歴ワーキングプアは辛い