アラブの春が起こったのは2010年12月のことでした。それからもうすぐ7年が経過することになります。

アラブの春とは中東から始まった民主化要求運動のことです。関係諸国としてはシリア、リビア、チュニジア、エジプト、イエメンといった地中海に面しているアフリカ諸国と中東諸国です。

多くの国で独裁政権が倒されたものの国内の混乱は続いており、民主化に成功した国はごく一握りです。政治や社会が不安定化した結果、内戦に繋がった国も存在しています。

果たしてアラブの春とは何だったのでしょうか。ここでは、そのきっかけと当時の関係諸国の現状(その後)を取り上げていきます。

 

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アラブの春の発端と実態

アラブの春は2010年12月にチュニジアで起こった民主化運動(ジャスミン革命)が発端になります。そこから北アフリカおよび中東のアラブ諸国に波及していった一連の革命の流れをアラブの春と呼んでいます。

民主化運動がおこった国では独裁政権が覇権を握っており、それらを打ち倒すことを目的として行われた運動でした。

当時はこれらが新たな時代をつくっていく希望として報道され、新たな時代が到来するものと信じられていたのです。

 

ところが、現実はそんなに甘くありませんでした。

革命が成功したと言えるのは発端となったチュニジアくらいで他の国々では独裁政権の回帰やイスラム諸国の台頭、そして内戦の勃発といった問題に繋がってしまったのです。

そのため、アラブの春は完全な失敗として認識されています。

なぜ、民主化運動がそのような結果に繋がってしまったのでしょうか。それぞれの国での出来事から検証していきたいと思います。

 

アラブの春の唯一の成功者であるチュニジア

チュニジアはアラブの春の唯一の成功例と言われています。

チュニジアでは、果物の違法販売を摘発された若者が抗議目的で焼身自害をしたことをきっかけに反政府デモが広がり、2011年1月には当時の独裁政権だったベンアリ政権を打倒すことに成功しました。

以後、4年間にわたり世俗政権とイスラム政権の対立が続きましたが、2015年2月に連立政権の発足という形で決着が付いたのです。

ただし、独裁政権によって弾圧されていたイスラム過激派が勢いをつけたことで治安が悪化しています。「イスラム国(IS)」に参加する国民はイラク人、シリア人に続いてチュニジア人の純に多くなっています。

国内でも各地でテロが起こっており、国内治安を安定させるのが一番の課題とされています。

 

このような現状から見ると、チュニジアがアラブの春の成功例といわれるのは、あくまで政権が安定したという部分のみだと言えます。

それ以外はイスラム国の台頭による対抗策もなく、国民が日々危険にさらされている生活を強いられている現状であり、結局は失敗だったという観方もできてしまうのです。

しかし、もちろんそれは現時点での話であり、今後状況を改善できる可能性があります。

チュニジアが今後政治や治安が安定した国になるためには、世界が一丸となってイスラム国(IS)の存在をどうにかしていくための対策を打ち出していく必要があるでしょう。

これはチュニジア一国でどうにかなる問題ではないからです。先進国や新興国といわれる国々はこうした国々の支援をしていかなければならないだろうと思います。

 

アラブの春で政治が安定しないリビアとエジプトの現状

リビアのきっかけとその後

リビアアラブの春により2011年にカダフィ政権が崩壊しています。

その後2つの政権が覇権を争い、2014年に暫定議会選挙が行われました。そこでは世俗派が勝利をおさめて政権を樹立しました。

しかし、敗れたイスラム政党がそれに納得せず、首都を制圧して新政府を樹立したのです。現在では2つの政党がそれぞれ統治の正当性を主張し合っている状況で、結論が出せない状況にあります。

こんな時こそ民主主義に基づいて投票をと思うかもしれませんが、中央政府が機能していない以上それもできません。このまま争いが続けば、解決策は武力もしくは第3者の介入しかありえないでしょう。

しかしながら、後者の可能性は内政干渉になりかねないため可能性は薄いと言えます。そうなると、このままでは再び武力衝突が起きかねない状況であると私は推測しています。

 

エジプトのきっかけとその後

エジプトではアラブの春によってムバラク独裁政権が崩壊しました。

しかし、問題はその後にありました。次に成立した政権がなんとイスラム組織「ムスリム同胞団」中心のモルシ政権だったのです。

更に問題は続き、2013年7月に大規模な反政府デモが起こりました。そして、それに乗じて軍がクーデターを起こしたのです。

2014年6月にはクーデターの首謀者シシが大統領の座に就きます。しかし、軍によるクーデターによる政権は独裁政権になりがちです。

この政権も例にもれず反政府勢力に対する弾圧を強め、独裁政権に回帰するような動きが見られます。これは私の推測ですが、次の政権もおそらくクーデターによって変わることになると思われます。

クーデターによって統治者が決められたのであれば、次の統治者を決める方法もそれに倣うのが自然だからです。実際にタイではクーデターによる政権交代が当たり前になっています。

これを防ぐにはきちんとした憲法を作り、法整備を進めるしか方法はありません。しかし、現政権ではそれも難しいでしょう。

 

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アラブの春が内戦に発展したシリアとイエメンの現状

シリアのきっかけとその後

シリアに関しては「戦後最大の人道危機」といわれています。

2011年に民主化を求める民衆のデモを当時のアサド政権が弾圧しました。

それにより政権と反体制派の戦闘が勃発。ロシアやイランがアサド政権側につき、米国やサウジアラビアが反体制派についたことで戦況は悪化して泥沼化してしまいました。

さらに、シリアにもイスラム国(IS)の勢力が伸びてきたことで3すくみの戦いとなり、いまだに決着はつきません。

2015年に起きた難民危機もこうしたシリアやイエメンからの難民が押し寄せた結果になります。

難民問題を解決するには根本的にシリアの内戦状態をどうにかしなければならないのですが、現状はどうにもできないというのが結論でしょう。

 

イエメンのきっかけとその後

イエメン長期独裁支配をつづけたサレハ大統領から政権を剥奪することを対話で実現させました。

しかし、その後イスラム教スンニ派のハディ政権とシーア派の武装組織フーシが対立したことで内戦状態となってしまいました。

政権を支持するサウジアラビア主導の連合軍がイランに支援をしているフーシと闘う主導権を握っていることから、実質サウジアラビア対イランの戦争がイエメンを舞台に行われていると形容するのが正しいでしょう。

内戦と表現はされているものの実際は代理戦争という表現が近いです。これに関しても、イエメンの国民や外部からの介入による解決が難しいというのが結論になるでしょう。

 

まとめ

アラブの春は、現状を見ると希望ではなく絶望への道に繋がってしまっているようです。

失敗どころの騒ぎではなく、逆に状況が悪化してしまったのです。

当時運動に参加した人々は今どのような心境で自分の国を見ているのでしょうか。もし、民主化に成功していたのであれば、著しい発展が期待できていただろう未来が予想できるだけにとても残念でなりません。

こうしている今もなお治安の悪化で、身の危険に怯える人々や内戦で難民となっていく人々が増え続けているのです。

 

しかしながら、そうした問題を根本的に解決する手段は現状ない、と言っても過言ではないでしょう。

もし、ここで武力介入すれば後世になって報復行為に走る国が出てくることも確実です。さらにイスラム国(IS)に傾倒する人々をせん滅するということも、現実的ではありません。こうなるとPKOや国連といったものも無意味でしょう。

思想と思想のぶつかり合い、いわゆる宗教戦争といったものは歴史上でも非常に根深いものとなっています。その理由は負ける=自己の否定につながるからです。宗教に関する認識が薄い日本人には理解しづらい感情だと思います。

しかし、第3者が介入することは確実に悪手です。私たちにできることはおそらくこれ以上犠牲になる人が増えないよう祈る事だけでしょう。私も北アフリカやアラブ諸国の人々の暮らしが一日でも早く安定するよう願っています。