今年の10月1日に、ラスベガスで58人が亡くなるという、史上最悪の銃乱射事件が発生しました。アメリカでは、これまでに何度も悲惨な銃乱射事件が発生し、毎年3万人以上の人が銃によって命を落としています。もちろん、銃乱射だけではなく、1992年のハロウィンでは、16歳の日本人の留学生が急に銃で撃たれて亡くなるという事件もありました。
事件が起こるたびに、日本でもニュースで話題になりますが、なぜアメリカは「銃があって当然の社会」なのでしょうか。
ここでは、アメリカの銃社会はなぜ続くのか、その実態と歴史的背景に迫ってみたいと思います。
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銃社会としてのアメリカ
まずアメリカの法律は、全米に通用する「連邦法」と、州の中でのみ有効な「州法」がありますが、連邦法は海外との通商関係のことや、著作権や特許権などの知的財産に関することなど、限定された事項にしか定められません。このため、銃に関する規制は州によって異なるということを、覚えておかなければいけません。
また、一般的に「拳銃」に対する規制は厳しくて、米国内の全ての拳銃は登録されていますが、「ライフル」は州によって登録が義務付けられていたり、必要なかったりします。
アメリカ全土での銃保持の実態を数字で見ると
というのが現状のようです。
実際に、銃を買おうと思えば、身分証明書こそ必要ですが、スーパーマーケットでも買うことができます。また、個人売買であれば身分証明書も必要ありませんので、銃専用のフリーマーケットも開催されています。
日本で生まれ育った人には信じられないような怖い銃社会ですが、アメリカで生まれ育った人にとっては、全く違和感は無いようです。
と言うのも、アメリカの国土面積は日本の25倍もありますが、その隅々まで警察の機動能力が十分に行き届いていないのです。ちょっとした田舎だと、電話で警察に通報しても、パトカーが到着するまで1時間かかるということもよくあること。そのような場所で、護身のために銃を備え付けるのであれば、それほど奇異なことでもありません。
むしろ、銃を持たない方が怖いのです。
また、アメリカでは「狩猟」がスポーツとして一定の評価を得ているため、ライフルは殺人の道具ではなく、スポーツ用具として認識されているようです。このため、拳銃と比べても規制が緩い傾向となっています。
拳銃はポケットに隠し持つこともできますし、片手で操作できますが、ライフルは取り回しが面倒なのでそうはいきません。また、自動小銃についても、軍で使うようなフルオートのマシンガンは非常に厳しい規制があります。
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歴史的な背景
また、アメリカ合衆国という国の成り立ちが、銃と共に歩んできたという歴史的な裏付けもあります。
まず、新大陸にやってきたヨーロッパの人たちは、入植のための武器として銃を持込み、先住民であるネイティブアメリカンたちを駆逐して、自分たちの領土を確保しました。
やがて、最初は東海岸を植民地としていた入植者たちは、やがて西部に向かって開拓を進めます。当時はそれこそ警察なんて存在しない頃なので、無法者と戦うために銃を携えていました。
そして、アメリカ合衆国として独立するため、イギリスとの間で独立戦争が始まります。これこそが、正に銃によって独立を勝ち得たという国家としてのアイデンティティなのです。
このような歴史を背景として、憲法の修正第二条に
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」
と規定されているのです。
律令国家として1300年以上の歴史を持つ日本と比べたら、アメリカの歴史は短いものです。ところが、それだけに独立した当時の祖先の絆は強く残っていて、先祖代々受け継がれる家宝のような銃があったり、国家や家族の歴史と、銃の存在とが強く結びついているのでしょう。
また、銃を単に人を危める道具としてではなく、父親が息子に釣りの仕方を教えるような「通過儀礼」の一環として捉えている部分もあるようです。
父から子へ、銃の整備の仕方を教えたり、一緒にハンティングに行って銃の使い方や獲物の捌き方を教えるといった「危険なものを取り扱えるようになる」という通過儀礼であり、象徴的な儀式としても捉えられています。
まとめ
このような理由から、日本では考えられないような恐ろしい銃社会ですが、アメリカでは別にそんな風には思われていないです。むしろ、護身のために銃はなくてはならないという人の方が多いのです。
とはいえ、その理由としては環境的・歴史的背景から致し方ない部分も感じられるのではないでしょうか。
ただ同時に、銃の存在が大変物騒なものであり、犯罪を助長するのも事実なわけで、理想はなくなることであるのは恐らく確かです。今後どういう方向で進んでいくのか、に注目したいところですね。