現在、イスラエル・パレスチナ問題が大きな国際的な社会問題となっています。
しかし、これについて今一つ何がどのように問題となっているのか、そもそも何のことだかという人も少なくないのではないでしょうか。
実際、少しややこしいですからね。
というわけで、ここではイスラエルとユダヤ人、パレスチナとは何か、その関係と歴史、問題と解決策を簡単に分かりやすく取り上げていきたいと思います。
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イスラエルとユダヤ人、パレスチナの関係と歴史
かつて(紀元前まで)、ユダヤ人は現在のイスラエルが位置する場所に定住し生活を送っていました。
その後、ユダヤ人は度重なる迫害を受けたことで中東の地を離れ、ヨーロッパへ移住しましたが、彼らは移住先のヨーロッパでも迫害を受けることになります。
その一つの大きな理由は、ユダヤ人たちは
「一神教であるユダヤ教の信仰を通じて、独自のコミュニティーを移住先で形成したから」
また、
「その才覚を活かして、金融業を中心に商売を行い、富を蓄えていったから」
です。
そのため、周りの住民からは「異質な人たち」というレッテルを貼られ、にも関わらずどんどん自分達よりも豊かになっていくことに対して不愉快な気持ちを覚えたのです。
特に、ユダヤ人が多く住んでいたロシア、ドイツでは徹底した迫害が行われました。
ロシアで起こったユダヤ人迫害を「ポグロム」、ドイツで起こった迫害を「ホロコースト」と言います。
結局、ヨーロッパでも自分たちの居場所をつくることができなかったユダヤ人たちの心の中では、
「ユダヤ人が安心して暮らせる国をつくろう」
という強い意識が生まれます。
そして、実際に自分たちの国をつくる場所として選ばれたのが、かつて暮らしてた現在のイスラエルがある場所、通称パレスチナだったのです。
つまり、イスラエルとパレスチナは呼び名が違う同じ場所になります。
しかし、パレスチナ自治区はまた別になります。
では、これがどういう意味なのか、説明していきたいと思います。
ユダヤ人がパレスチナへ入植した理由と問題の根幹
実は、第一次世界大戦の際、ユダヤ人の有力政治家とイギリスの外務大臣がユダヤ人のパレスチナ(現イスラエルの場所)への移住に関する協定を結んでいました。
外務大臣の名前をとって、「バルフォア宣言」と呼ばれています。この宣言によって、ユダヤ人は自分たちの「ホームランド」として、パレスチナへ入植することが認められたのです。
ただし、当時のパレスチナにはアラブ人が既に何百年もの間暮らしていました。それを差し置いて、ユダヤ人たちは入植を開始したのです。
もちろん、それはアラブ人達からしてみたら面白くないことこの上ないので、この時点で衝突は免れないことになります。
さらに、上述したポグロム・ホロコーストによってユダヤ人のパレスチナ入植の動きはなおいっそう活発になり、状況は悪化。
この状況を改善するために第二次世界大戦が終わった際、パレスチナはイギリスが統治することとなったのですが、それでもユダヤ人たちは熱烈なナショナリズムによって、テロを頻発して暴れます。
イギリスもこれには参ってしまい、パレスチナの統治を国際連合に投げ入ります。
ここで国連は、
「ユダヤ人とアラブ人で、パレスチナを半々に分け合う」
という採択を出しました。
ユダヤ人はこれに賛成しますが、それに対してアラブ人は納得がいかず猛反発します。
結局この案は通らず、1948年になると業を煮やしたユダヤ人が一方的にイスラエルの建国を宣言しました。
もちろん、そんなことは周りのアラブ諸国も認めるわけがありません。
そして、イスラエル(ユダヤ人)vsアラブ諸国(アラブ人)という構図で戦争が起こります。
これを「中東戦争」といい、計4回勃発することになります。
度重なる戦争でイスラエルはアラブ諸国に勝利を繰り返し、アラブ人が住んでいた土地をどんどん奪っていきます。このとき、アラブ人たちはヨルダン川西岸地区やガザ地区に逃げ込みます。
このイスラエルとアラブ諸国の間に起こる衝突と領土問題、それに伴う難民の大量発生。
これこそが、「イスラエル・パレスチナ問題」の根幹になります。
そしてパレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)が現在追いやられている地区を、パレスチナ自治区と言います。
ちなみに現在では、パレスチナ自治区がパレスチナと呼ばれることもあるので、それが多くの人を混乱させる原因になっています。
そういう紛らわしいのは本当にやめて欲しいですね。
また、もともとパレスチナに住んでいた人達のことはアラブ人ではなくパレスチナ人と呼ばれることがあります。
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≪参考関連≫アラブの春は失敗?国々のきっかけやその後を分かりやすく解説
パレスチナ問題の解決は難しい?
実は、イスラエルとしてもイスラエル・パレスチナ問題を解決する気が全くないわけではありません。
後にパレスチナ人の国土奪還を支援する組織として「パレスチナ解放機構(PLO)」が設立されたのですが、イスラエルはノルウェーの仲介を受け、このPLOと交渉をします。
この交渉の結果、今後の和平プロセスについて協定が結ばれました。
これを「オスロ合意」と言います。
ですが、このオスロ合意はもはや形骸化していると言わざるを得ません。
現在、イスラエルはユダヤ人入植地をさらに拡大させようとしており、パレスチナ人との交渉にもまともに応じていないのです。
何のためのオスロ合意打診だったのかと思えてきますね。
なぜ、そこまでして侵略したいかと言えば、ユダヤ人達にもともとは自分達の土地であるという意識があるのと、アメリカの後ろ立てがあって争いに勝ててしまうからです。
なぜアメリカがイスラエルの味方をするかというと、ユダヤ人はアメリカにも多く存在していて、政治的にも影響力のある存在だからです。
もちろん、侵略しなくてもアラブ人達はすでに侵略された分を取り戻したいということで紛争は起こるので、問題は解決しないのですが。
少しは期待できそうな解決策
では、パレスチナ問題を解決するためにはどうすればよいか。
その方法は、もはや国際連合が再びイスラエル・パレスチナ問題に直接介入する他ないと思います。
ヨーロッパ諸国をはじめとして、世界の国々で構成されている国連の場で、パレスチナ問題への介入を検討して、もう一度、改めて
「ユダヤ人とアラブ人で、国土を分け合う」
という採択を出したらどうか、ということですね。
もともとアラブ人達が分け合うことを嫌がった結果なので、すでに領土の大半を奪われているアラブ人達からしたら、むしろ歓迎するところはあるでしょう。
ただし今度はイスラエル(ユダヤ人)側がそれに納得しない可能性がありますし、そもそも争い過ぎてもうお互いの仲が修復不可能なほどぐちゃぐちゃになっているので、これで解決するかどうかは定かではありません。
前回の介入も失敗しているわけですし。
本当に難しい問題ですね。