前回の記事では、JAが農作物の集荷と農業資材等の販売をしつつ、金融事業を営んでいることの特殊性を指摘しました。「お金を貸してあげる」という強い立場を利用して、農家にモノを買わせ、支払いは農作物の売り上げから天引きする、という囲い込みが可能になっているのです。

参考:農協改革とは何か。農協の問題点の概要をわかりやすく

こういったわかりやすい構図以外にも、JAには資金力の源となる要素があります。今回は、その資金力の源と、政治との関係を探ってみましょう。

 

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資金力の源

組合員の構成

実は、JAの組合員は農家だけではありません。農家ではなくても、そのJAの営業区域に居住している住民は「準組合員」としてJAのサービスを受けることができます。これは、かつての農村地域は物流や金融機能が脆弱だったために、農村の住民のためにサービスを提供するために開放したのです。もちろん、準組合員は農家ではありませんから、組合における議決権はありません。

ところが、かつては農家の組合員の方が圧倒的に多く、準組合員は全体の1~2割程度でしたが、農業の衰退と、都市の拡大(農村の住宅地化)によって、現在は組合員と準組合員がほぼ同数になっています。

つまりJAは、組合員とほぼ同数の準組合員からも預金を預かるのとともに、住宅ローンや自動車ローン、生命保険や損害保険を提供することで利益を上げているのです。

また、肝心の組合員も、農業だけに専念しているのは全体の3分の1にすぎません。3分の2は「兼業農家」で農業収入はごく一部。基本的にはサラリーマンとして働き、給与収入で生活しています。この給料の振込先もJA、生命保険も自動車ローンも自動車保険もJAが引き受けますから、農業と全く関係ないところから資金を吸い上げているのがJAの実態なのです。

実際、JAの決算平均を見ると、集荷や販売などの「経済事業(-2.1億円)」は赤字ですが、「金融事業(+3.7億円)」「共済事業(+2.0億円)」で大きく稼いでいることが分かります。中にはブランド化などの取り組みを通じて経済事業が黒字化しているJAもありますが、全体の2割程度しかないのです。

 

農地の特殊性

農家以外の人にはあまり知られていないかもしれませんが、農地法の規制があるため、農地は自由に売買できません。売買できないだけでなく、許可なく農地に家を建てれば違法になります。

農地の売買、貸借、用途変更をするためには、各自治体の「農業委員会」の許可が必要になるのです。この農業委員会の構成員は、ほとんどが農家さんです。農家さんの他には、自治体の推薦によってJAやJA共済の理事が選ばれます。

例えば、農家の子供が結婚する場合を考えてみましょう。土地ならいくらでもありますから家を建てようとしますが、農地に住宅を建てることはできません。農地を宅地に転用するためには、農業委員会の許可が必要です。すると、農家さんはまずJAに根回しに行くのです。そして「JAで住宅ローンを組みますから、農地転用を認めて下さい」と言えば、JAは絶対に賛成します。他の委員も、将来は自分も農地を宅地に転用するかもしれませんし、JAとの付き合いもありますので、反対はしません。

このように、農地の流動性が低く保たれ、農業委員会の権限が強いことがJAの資金力の裏付けとなっているのです。

 

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農協と政治の関係

JA全中をトップとして、各都道府県にJA中央会を置き、地域ごとのJA(単位農協)に農家が所属しています。この上意下達の組織構成があることで、JAは政治とも対等に渡り合える関係になりました。

いざ選挙となれば、農家の票はJAのコントロール下にあります。もちろん、日本の選挙では有権者それぞれが自由意思で投票できます。でも、農家にとしても、農民にとって有利な政策をかなえてくれる政党に投票するのは当然のことでしょう。JAが一体となって各政党と交渉し、農家にとってもっとも有利な公約を掲げる政党に投票する。そしてその政党が政権を担当する。このような構図で戦後は一貫として農家にとって有利な政策が実現されてきました。ですから、農協というのは政治に大変な影響力があるのです。

最も分かりやすいのは「米価」の問題です。戦時中の配給制度は仕方ないとしても、戦後も食糧難を理由として、政府は米の全量買取政策を継続していました。これが食糧管理法に基づく「食糧管理制度」です。

政府による米の買取価格が恒常的に高額で維持されたのは、JAの政治活動による成果です。しかも、農家のためだけの運動ではありません。米価が上がれば、JAの手数料も増加するので、本気の運動が繰り広げられたのです。戦後最大の圧力団体と呼ばれたJAの力はすさまじく、時の与党も要求を受け入れざるを得ません。

また、現在の農業の衰退は、このような運動によって引き起こされたとも言われています。日本の農業は、海外の農業先進国と比べて生産効率が悪いのです。これは、一軒当たりの農家の耕作面積が少なく、海外の大規模農業のように効率化が図れないことも大きな要因と考えられます。

本来であれば、効率の悪くて稼げない農家は農業を廃業し、効率よく稼げる農家が耕地面積を増やすべきなのです。ところが、米価引き上げによって、効率の悪い農家でも農業を続けることができたのです。もちろん、このような事態は容易に想像できたのですが、JAや与党にとって、農家の数は選挙の票数ですから、農家が減るような政策よりも、小規模な農家が生き残れる政策を取り続けてきたのです。

食糧管理法は1995年に廃止されましたが、今度は「減反政策」によって米価が維持されました。これは意図的に米の生産量を減らす政策です。具体的には、田んぼの面積を減らすことで供給量を減らし、需給関係を悪化させました。この際、田んぼの面積を減らした農家に補助金を交付することにしたのです。

それと同時に、1995年以降はウルグアイ・ラウンド交渉(農産物を始めとした国際的な自由貿易のための貿易交渉)の成果として、海外から米が輸入されてくるはずなのですが、輸入米に対して高い関税をかけることで、国産米よりも輸入米が高くなるような政策を取っています。

 

まとめ

アメリカでのトランプ政権の誕生によって下火になりましたが、一年前まではTPPの話題が大きく取り上げられていました。TPPは環太平洋諸国の間での関税を撤廃する条約ですから、JAは戦々恐々としていましたが、今はおだやかな気持ちで過ごしていることでしょう。

しかし、こうやって戦後の農政を振り返ってみると、農家を保護していたつもりが、結果として日本の農業を衰退させたのかもしれません。農家の数は年々減り、平均年齢は66.8歳まで達しているのです。

まずはJAの金融事業・共済事業を切り離して健全化を図り、農地の流動性を高めるような規制緩和を進める必要があるのではないでしょうか。