「マルクス経済学(資本論)」と言われても、若い世代の人は何のことだか分からないかもしれませんが、戦後の日本の経済学はマルクス経済学(通称マルケイ)と近代経済学(通称キンケイ)の2つが対立していました。

と言っても、学者が喧嘩していたわけではなく、経済学の体系を、マルクス経済学と非マルクス経済学に分けて考えたとき、非マルクス経済学のことを近代経済学と呼んでいたのです。

それほど重要だったマルクス経済学ですが、冷戦終結後は経済学の中でも非主流派になってしまったようです。そして、若い人の中にはマルケイと言われてもピンとこない人がたくさんいるようです。

ところが近年、日本で生じている様々な労働問題が大きく取り上げられるようになっていますが、その中でマルクス経済学が役に立っているのです。

ここでは、マルクス経済学の基礎について、簡単にわかりやすくまとめてみました。

 

労働価値説

商品の価値を考える

マルクス経済学は、まず「商品」の価値を考えるところから始まります。商品の価値には2つの側面があるのです。

1つ目は、その商品を使ったり所有することで満足する、ということに価値を見出す「使用価値」です。

パンを食べて食欲を満たすとか、鉛筆で何かをメモしたり、アクセサリーを身に着けることで着飾るような価値のことです。

 

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もう1つは、その商品を他の何かと交換できる、ということに価値を見出す「交換価値」です。

例えば、わたしの持っているパンと、あなたの持っている鉛筆を交換する場合、お互いにとって、パンと鉛筆の「価値」が等しいから交換が成り立ちますよね?でも、パンと鉛筆の使用価値は等しくありません。鉛筆を食べることはできませんし、パンではメモすることもできません。

つまり、パンと鉛筆の交換が成り立つのは「交換価値が等しい」からなのです。そして、「使用価値が等しくない」からこそ交換する必要がある、とも言えます。

 

価値はどうやって決まるのか

そこで、交換価値をどうやって計るかが問題になります。例えば「重さ」で比べるのは適切ではないですよね。パンと鉛筆の重さ同じでも、交換価値が同じとは限りませんから。

マルクスは、商品の価値はその商品を生産するために投入された労働量によって決まると説明(厳密には、商品個別の労働量ではなく、社会全体での平均労働量)しています。1人の労働者が1日で生産するパンの量が100個で、1人の労働者が1日で鉛筆を100本製造する場合、1個のパンと1本の鉛筆の交換価値が等しいと言えます。

このように、商品の価値が労働量によって決まるという考え方を「労働価値説」と言います。

※ただし、労働価値説は商品同士にある全体としての需要の差は考えません。例えば、鉛筆を欲しい人は100人いるけど、パンを欲しい人は50人であった場合、鉛筆の方が価値が高いと言えますよね。しかし、労働価値説ではそこは考慮されないのです。

 

剰余価値(それが資本家のモチベーション)

ところが、現実のパン屋さんの経済活動を見ると、1人の労働者が1日に100個のパンを作っても、労働者はパン100個分の賃金をもらえません。それは、パン屋さんの社長(資本家)の取り分が必要だからです。(個人営業のパン屋さんなら、社長が店長で従業員ですから、自分で働いた稼ぎが自分の賃金になりますが、ここで言っているのは〇〇製パンのような大きな会社のことです)

パン工場に10人の労働者がいて、1日に1000個のパンを製造したとしても、労働者に配分される賃金はパン900個分だったり、700個分だったりします。この、残りの100個分や300個分のパンが生み出す儲けが社長(資本家)のための儲けとなりますので、この儲けの部分を「剰余価値」と名付けました。

資本家としては、この剰余価値を大きくしたいのです。資本家がパン工場に投資しているのは、パンを作りたいからという訳ではなく、「儲けたいから」というのが第一の目的であり、モチベーションとなっているのです。(もちろん、パンが好きだから経営している人も多いのですが)

 

絶対的剰余価値

パン工場の経営で「今よりもっと儲けたい」と考える資本家は、どうすればいいでしょうか。つまり、剰余価値を増やす方法を考えてみましょう。

簡単に増やそうと思ったら、労働者の賃金はそのままで、工場の稼働時間を今より伸ばして、労働者を今よりも長く働かせればいいのです。そうすれば、今まではパンを1日に1000個しかできなかったけれども、1200個、1500個と製造数が増えますから、剰余価値も増えます。

このようなアプローチを「絶対的剰余価値生産」と言いますが、これは(いうまでもないことですが)上手なアプローチではありません。

なぜなら、1日は24時間しかありませんから、いつかは剰余価値が上限に達してしまい、それ以上は打つ手が無くなります。しかも、労働者は労働時間が長くなれば不満を持ちますし、ストライキをしたり、みんなで一斉に退職してしまうかもしれません。

そこで、もう少し現実的なアプローチが必要になります。

 

相対的剰余価値

賃金を据え置きで労働時間を伸ばすと、労働者の不満が高まるし、そもそも伸ばせる労働時間には上限がある。それなら、「労働時間はそのままで賃金を下げればいいんだ!」ということになります。このようなアプローチを「相対的剰余価値生産」と言います。

もちろん、今のままで急に賃金を下げたら、労働者の労働意欲が下がってしまいますから、生産量が減ってしまうでしょうし、相対的剰余価値は増えません。労働者だって、賃金が下がったら生活費が賄えなくなるかもしれませんし、そもそも

「今までどおりに働いてるのに、給料を下げるのはおかしい!」

と言って怒るでしょう。

では、労働時間を増やさずに、10人で1日に1500個のパンを作るためには、どうすればいいのでしょう?

解決策は「生産性を上げる」ことです。今までは10人で同時に同じ作業をしていたなら、それを流れ作業にすれば生産性は上がります。(全員で小麦粉をこねて、同時にタネを寝かせて、同時にオーブンで焼くのはムダなので、こねる担当・焼く担当の分業にするのです)

もしくは、今よりも大きなオーブンを使って焼けば、一度にたくさんのパンを焼くことができるようになります。剰余価値が増えるなら、資本家も大きなオーブンを買おうと思うはずです。

しかも、商品の生産性が上がるということは、パン1個あたりの労働量が減るということですから、商品の交換価値が低くなります。つまり、売っているパンの値段が安くなるということです。それならば、労働者はある程度賃金が安くなっても、生活には困らないということになりますよね?

つまり、社会全体の生産性が上がれば、社会全体の平均賃金が下がったとしても、生活には困らなくなるのです。

 

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現代の日本にあてはめてみよう

現代の日本の労働市場を見たとき、2つの大きな問題があります。

1つは「長時間労働による過労死や精神疾患の発症」であり、もう1つが「低賃金非正規雇用の生活苦」です。

労働時間が長くなるのは、絶対的剰余価値の問題で、非正規雇用の賃金が低いのは相対的剰余価値を増やした結果なのです。どちらも資本家が剰余価値を高めた結果として、このような状況になっていると分析できます。

となると、不況は資本家が悪いのか?と思えるかも知れません。しかし、科学の進歩の中で相対的余剰価値は自然と増えますし、そもそも効率を求めて経営を試行錯誤すること自体も当然の考えです。ですから、結局誰も悪くないのです。強いて言えば、極端に自己利益に走る者は悪いのですが、それは資本家だろうと労働者だろうと関係ありませんよね。

 

マルクスがこのような経済学を体系的に表したのが「資本論」という書籍ですが、初版が発行されたのは今から150年も前のことです。

冷戦終結を経て経済学の主流から外れてしまったマルクス経済学ですが、いまもなお、世界の経済を知る上では欠かすことのできない基礎知識と言えるでしょう。