「ジョージ・ブッシュ元大統領」というと、アメリカ同時多発テロの際の大統領であり、戦争に積極的なイメージを持つ方が多いかもしれません。

実は、彼の父親もかつてアメリカ大統領を務めていました。

ここでは、「ジョージ・ブッシュ父と息子」の外交の進め方の違いと評価を、歴史背景を踏まえながら解き明かしていきたいと思います。

 

Sponsored Link

 

ジョージ・ブッシュ父―叩き上げの大統領

まずは、ジョージ・ブッシュ元大統領(父)について、基本情報を確認していきましょう。

ブッシュ父の名前は、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ

太平洋戦争の際、海軍のパイロットとして従軍。

搭乗した戦闘機が追撃された経験もあり生命の危機にさらされたこともありましたが、太平洋戦争の激戦を生き残り、その後は政治家の道を歩むことになります。

1966年と1968年に下院議員に選任。

1980年、共和党の大統領指名予備選に出馬しますが、ドナルド・レーガンに敗れました

しかしレーガンは大統領就任後、ライバルであったジョージ・ブッシュ父を副大統領に指名します(オバマ大統領が、大統領選で争ったヒラリー・クリントン氏を国務長官に指名したように、アメリカの政治家はライバルを重鎮に置く傾向があるようです)。

ジョージ・ブッシュ父は、レーガン大統領のもとで忠実にその政務をこなしていきました。副大統領時代から、外交・安全保障問題に強い関心を抱いていたと言われています。

1988年、レーガン大統領の後任として大統領選挙に立候補し、見事勝利を収めます。大統領就任後、当時対立関係にあったソ連のミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長と会談を行います(マルタ会談)。

会談終了後、ジョージ・ブッシュ父は「冷戦の終結」を宣言。約半世紀にわたって繰り広げられた冷戦に終止符が打たれました。

しかし、平和な期間は長続きせず、今度はサダム・フセイン率いるイラク軍が石油獲得を背景に、隣国クウェートを侵攻。

これを受け、国際連合は設立初の武力行使容認決議を可決。この決議に従い、ブッシュはアメリカ軍を中東へ派遣します。

アメリカ軍を中心とする多国籍軍は、イラク軍をクウェートから撤退させることに成功します(湾岸戦争)。この戦争を通じて、ブッシュの知名度・人気度は高くなりました。

しかし、再任を目指した1992年の大統領選挙において、民主党のビル・クリントンに敗北します。アメリカ経済の悪化が、共和党人気を押し下げてしまったのです。

 

ジョージ・ブッシュ息子―国政経験がなかった大統領

次に、ジョージ・ブッシュ元大統領(息子)の外交を整理していきます。

息子の名前はジョージ・ウォーカー・ブッシュ。父親と名前が瓜二つです。両名を間違えないように、「小ブッシュ」と表記されることもあります。

ジョージ・ブッシュ息子は、名門イェール大学を卒業しています。

ただ、学業成績はあまり振るわなかったそう(大統領になった後、演説での言い間違えを指摘されたことは有名です)。また、飲酒運転をするなど、少々荒れた生活をしていました。

転機となったのは、1994年のテキサス州知事就任です。テキサスにおいて、徐々に支持を集め、政治基盤を強固にしていきました。1998年に州知事再選を果たします。

そして、2000年のアメリカ大統領選挙において、民主党候補のアルバート・ゴアを僅差で破り、大統領に就任します。就任当初は、支持率はそこまで高くありませんでした。

2001年9月、アメリカを震撼させた事件が起こります。

アメリカ同時多発テロ事件です。この事件を受けて、ブッシュは「テロとの戦い」を声高に宣言します。

また、事件現場のワールド・トレードセンター跡地で、作業中の消防員を激励する姿がメディアに取り上げられ、支持率を急上昇させました。

国内では、「米国愛国者法」が制定され、テロへの関りが疑われる者に対して、強硬な手段を行使することが認められるようになります。

その後、ブッシュはアメリカ軍をアフガニスタンへ侵攻させ、テロリストをかくまったとして、タリバン政権を崩壊させます。

ただし、テロの首謀者であったアルカイダのリーダー、オサマ・ビン・ラディンを捕まえることはできませんでした。

このアフガニスタン侵攻をきっかけに、ブッシュは強硬な外交・安全保障政策を推進していきます。湾岸戦争で戦ったイラクが、大量破壊兵器を隠し持っているとして、イラク大統領のフセインを非難しました。

その後、アメリカはフセインのイラク国外退去を命じますが、フセインはこれを拒否。

アメリカ軍はイラクへの侵攻を開始します。戦況はアメリカ軍有利に進み、最終的にフセイン政権は崩壊しました。

しかし、ここで問題が浮上します。戦争開始の理由として挙げた「大量破壊兵器」がイラク国内から見つからなかったのです。

後に、「イラクが大量破壊兵器を所持している」という情報は、信憑性が低いものであったと釈明されました。

アメリカの景気悪化も重なって、ブッシュに対する支持率は低下を続けました。イラク戦争に対する懐疑論が不支持を集めた模様です。

 

Sponsored Link

 

≪フセインの生涯≫サダム・フセインの真実―悪行と功績、最後。息子への想いとは

 

父と息子の違い ~戦争に対する姿勢~

ジョージ・ブッシュ元大統領の父と息子は、両名共に大規模な戦争を主導したことから、「戦争好き」というイメージをアメリカ国内では持たれています。

 

しかし、父と息子で戦争に対する姿勢は大きく異なります。

父であるジョージ・H・W・ブッシュは、国連の決定(フセインをクウェートから撤退させる)以上のことは行いませんでした。

撤退するフセインを追い打ちすれば、イラクの独裁体制を崩壊させることができたかもしれません。しかし、ブッシュ父は、国連の決定を尊重したのです。

それに対して、ブッシュ息子は父よりも「愛国主義」の色が強い意志決定を行いました。

「イラクに大量破壊兵器が隠されている」

ということを理由に、イラクへの攻撃を開始したのです(建前上は、「イラクは国連安保理決議を履行していない」という理由を掲げましたが、イラクを攻撃する正当な根拠というには弱いものでした)。

イラク戦争の結果、フセイン政権を崩壊させることはできましたが、その後のイラク情勢は不安定なものとなりました。加えて、大量破壊兵器がイラクで見つからず、国際的な非難をブッシュ息子は浴びることとなります。

家族でも、ここまで戦争に対する姿勢が異なるので、他人同士ではさらに考えが異なるでしょう。

もし、ジョージ・ブッシュ息子が父と同じように国連との協調を重視していれば、現在のイラク情勢はまた変わった状態になっていたかもしれません。

 

ジョージ・ブッシュ親子の外交の評価

ですから、ジョージ・ブッシュ息子については、

保守が故に本来すべきでない強引な手法を取ってしまい、その結果多くの人の命が犠牲になった一方で、何も成果が得られなかった。

というのが、一般世論的な評価となっています。

しかも、その保守のスタンス自体も現在では批判されているため、当時の彼の外交を評価している人は非常に少ない現状となっています。

愛国心が故の行動だったのが、完全に空回りしたと言えるかも知れません。

一方で、ジョージ・ブッシュ父については、ブッシュの息子のような悪評はありません。ルールを破ることなく、バランスの取れた外交をしたという評価が主です。

 

では、現在のトランプ大統領はどちらに近いのでしょうか。

ジョージ・ブッシュ息子がアメリカ国内で評価されていない以上、同じように戦争に対しての極端に積極的な姿勢は避難の的になるでしょう。

ですから、過激な発言はブラフであり、本心は仕掛ける気はないのではないでしょうか。

彼はもともとビジネスマンですから、そういう駆け引きは得意ですからね。

ただし、それではただの腰抜けという印象にもなってしまうので、どこかにラインは別に引いているとは思いますが。